Interview/B・B・キング

 1996年6月のある日、「ブルーノート」で演奏するために来日したB・B・キングにインタビューすることができた。cブルースの生きた伝説、B・B・キングの、誠実で貴重な証言である。


Interview/B・B・キング
すべてのブルースが悲しいんじゃない
片面は悲しいが
その裏面はハッピーなんだ

●ロバートとロニー、二人のジョンソン
山川 ようこそ、また日本に。日本でプレイする気分はどうですか。
B・B・キング(以下BB) とってもいいね。今は暖かいし。ぼくはあったかいのが好きでね、寒い時はダメなんだけど。
山川 最初の質問ですが、自分のギターにルシールって名前をつけたのはどうしてなんですか。
BB 昔の話さ。アーカンソーという州のトゥイスコという小さな町で演奏してたことがあったんだ。冬はとても寒い土地で、大きなゴミ缶をダンスフロアの真ん中に置いてね。そのなかにケロシン灯油を入れてあたたまるんだ。当時あの辺りでは好んで灯油を使っていた。みんながその回りを、うまく避けながら踊ってたんだ。
 ところがある晩、二人の男がそこで喧嘩をはじめたんだ。一人がもう一人を、その入れ物ごと殴り倒した。灯油は燃えながら床にこぼれたんだ。まるで、火の海だ。みんなが戸口に殺到した。このB・B・キングね。だけど、外に出て、ギターがないことに気がついたんだ。それで、建物のなかに引き返した。木造の家屋で火の回りが早くて、あちこちから燃えた木辺が落ちてきたよ。ギターのために、命を落とすところだったんだ。
 翌朝になって、二人の男の喧嘩の種がなんだったのか知った。女だよ。ぼくはその女の顔は知らないが、名前はわかった。ルシールさ。
山川 なるほど……。
BB 女ってものは、男を狂わせる。ぼくはそれに巻き込まれて、命を落とすところだったんだからね。二度とそんなことはするまいと心に誓って、ギターにルシールって名前をつけたんだ。今のは、16代めのルシールさ。
山川 日本でも『ルシール・アンド・フレンズ』というアルバムがリリースされてぼくもしょっ中聴いていますが、若いロック・ミュージシャンといっしょにプレイする気分はどうですか。
BB とってもいいね。楽しいよ。
山川 ブルースマンといっしょにやるのとは違いますか。
BB あなたと話すのと、こちらの彼女と話すのと、違うかい? 良い音楽は良い音楽だ。良いミュージシャンは良いミュージシャンさ。あなたは若いが、私は70歳で、そういう違いはあるがね。才能に年齢は関係ないよ。年をとってへたくそな奴もいれば、若くてうまい奴もいる。
山川 あなたは60年代から意識的にブルースの可能性を広げようとしていたように見えるんですが、それはいかがですか。
BB それがぼくの仕事だし、それしかしてこなかった。50年だよ。そんなに長い間やってきて……プロとしては45年か。それこそカセットだってなかった。リール・テープが珍しかった時代だ。楽器屋に行ってなんでも買える時代じゃない。先生もいない。本だけだ。本だけが先生だった。ラジオ局も音楽をかけるところはあまりなかったしね。ブルースをかけるとこなんて、ひとつもありゃしない。テレビさえなかった。ぼくが始めた頃は。テレビの名前を聞いたのが、16の時で、初めて実物を見たのが20歳だよ。今でこそ、テープだ、マイクロテープだってなんでも買えるけれど。ぼくのソニーのマイクロ・カセットレコーダーなんて、こんなにちっちゃいけれども、昔のカセットなんてぼくの足くらいあった。50年だからね。なにせ。出演するところも、クラブも、そうはなかったよ。ぼくは電気もなかったような田舎育ちだからね。ブルースも音楽もえらく変わったよ。
●1950年代と90年代
山川 1950年代と90年代と、ブルースにとって一番大きな違いはなんでしょう。 BB 今言ったのは、大きな流れの話だね。今ブルースを支えているのは、主に若い人だ。当時は違う。今は世界的に若者達から支援されている。日本だろうと、オーストラリアだろうと、ニュージー・ランドだろうと、中国でもだ。2年前に行ったけれどね。韓国でも、ヨーロッパでも、南米でも実際に旅して実感している。日本のブルーノートにも若い人がいっぱいきているし、中には50歳代の人もいるがね。そこが一番違う点だね。ぼくが始めた頃はぼくが一番若くて、お客さんはぼくよりみんな上だった。ぼくが年をとれば、ファンも歳をとった。ところが、この10年ぐらいは、だんだんお客さんが若返って、うれしい限りだよ。
山川 ブルースに出会い、ブルースを始めるに当たって、ものすごく影響を受けた先輩のブルースマンはどういう人がいますか。
BB いっぱい、いっぱい、いるね。時間が足りないくらいだ。ロニー・ジョンソン、アコースティック・ギターのプレイヤーでありシンガーのレモン・ジェファーソン。ぼくらはブラインド・レモンと呼んでいるんだが、彼はすごいアコースティック・ギターのブルース・シンガーだね。でも、ぼくはジャズも好きで、チャーリー・クリスチャン、ジャズのエレクトリック・ギタリストを聴いたし、もう一人、ジャンゴ・ラインハルトというフランス人のジャズ・ギタリストもアイドルだった。それから、T・ボーン・ウォーカーという、エレクトリックのシングル・ストリング奏法のギタリストにすっかりいかれちまった。あのギターには、以来ずっとほれてるけどね。でも、他にもたくさんいるんだよ。サックス奏者も、歌手も、ピアニストも、影響されて好きになる人はいっぱいいる。
山川 ぼくはものすごくブルースが好きなので、その当時のことをもっと教えて欲しいんですが。
BB さあ、ぼくもほんの子どもだったから(笑)。
山川 今は曲を書く人がいて、歌詞を書く人がいて、著作権というものがはっきりしていますよね、でも、1930年、1940年代のブルースというのは、あるブルースマンがある曲を次の世代にそのままバトンタッチする、と。
BB そう、今でもそうしてるよ。
山川 例えば、ロバート・ジョンソンが<ダスト・マイ・ブルーム>という曲をエルモア・ジェイムスに教えた。
BB そうだね。
山川 そうすると、エルモア。ジェイムスが3番の歌詞を書き加えたりして。
BB そう、その通りだよ。だけどね、だからといってロバート・ジョンソンがその曲を書いたということでもないんだ。彼が録音したのを最初に聴いたと言うだけで、誰が書いたかは分からない。彼が書いたかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ぼくも、人はぼくが書いたと思っているかもしれないけれど、実は自分では書いていない曲をたくさん録音している(笑)。
山川 ブルースというのは三世代にわたって作られたりする歌なんだなあ。
BB ぼくには何とも言えないな。ぼくは君みたいに学者じゃないからね(笑)。ぼくは若い頃流行っていたいろんなブルース歌手を聴いて育ったんだ。ロバート・ジョンソンも聴いたけど、あんまり大ファンじゃなかったな。どっちかと言うと、ロニー・ジョンソンの大ファンだったから。最近の若い子たちはロバート・ジョンソンが最高だと思っているようだけれど、確かにうまいとは思うけど、最高だとは思わない。ぼくにとっては、今でもロニー・ジョンソンが最高だね。
山川 ロニー・ジョンソンは、明るくていいですよね。ただぼくが言いたいのは、ロバート・ジョンソンとロニー・ジョンソンのどちらがいいかというようなことではなくて、ブルースのでき方なんですよ。あなたもそんなふうに誰かに丸ごと何とかって曲を教わったり、その曲をそっくりそのまま誰かに伝えたりしながら、活動してきたんですか?
BB 代々伝えられてきた歌はたくさんあるよ。いっぱいね。それは確かだね。それが、ブルースってものなんだ。
山川 そこが今の著作権に縛られた音楽と違って、すごくハートフルな感じがします。
●ぼく自身が今日やるべきこと
BB ビジネスの話をしようか。ビジネスというのはビジネスなんだ。「あ、あの有名なBBキングだ」って飛行機会社のカウンターで言われて、サインを求められたりして、でも「はい、チケット代は1200ドルです」だからね。例えばアメリカから日本に来る時にはね、有名だろうが無かろうが関係なしだ。払うときは払う。だから自分のビジネスはビジネスとして管理していないと、チケット代も払えない。
 ぼくたちが始めた頃は、出版のことも、人のいろんなお金の儲け方も、なんにもわからなかった。むしろ自分がお金を払ってもレコードを出したいくらいだった。人から金をもらうなんて考えもしなかった。そのくらいレコードを出したかった。特にぼくの育った辺りの若者は、教育も受けていないから、何も知らない。彼らもぼくも、この仕事からぼくたちに支払われるべき金が生じるなんて知らなかったし、とにかく有名になりたかっただけなんだ。金を稼がなきゃならないんだってことを知らなかった。あの時代はね。今の若い人は分かっている。自分から「ぼくの出版社はabcです。これが、その出版社が持っている5曲のリストです」って。そんなこと知らなかったよ。だから多くの場合、あなたのレコードを出してあげましょうって言われて、でも金はくれない。レコードを出したい一心で、ビジネスのことなんか何も分かちゃいないんだ。だからって、ビジネス側の人間を責めるつもりはないよ。アメリカで良く言うんだけど、知らなかったら知らないんだからしょうがない。
山川 でも、そういう時代を経てね、ブルースのコアにある、ハートフルなものを1990年代まで保っているというのはすごいことだと思いますよ。
BB 自分ではね、保っているとは考えていないよ。ぼくはただのミュージシャンで、自分の感じたままをプレイしているだけなんだ。ぼくはブルースのピュアリストになろうとはしていないし、ただ自分の感じることを演奏している以外の何者でもない。クリエイティブになりたいとは努めているよ。でもぼくの先祖達がやったことをやるんじゃなく、明日の子ども達がやることでもなく、ぼく自身が今日やるべきことをやろうとしている。もちろん先祖達がやったことには感謝しているし、認識している。彼らがぼくのために道を切り開いてくれたんだから。あそこのビルを見てごらん、なんとすばらしい建築の技と心の賜物であるかと思うよ(そう言いながら、窓の外を指差す)。でも、あなたの仕事はまた別のところにあって、そこで創造性を発揮すればそれでよい。ぼくはそう思う。あのビルはあのビルで、君は君なんだ。わかるかい? ロニー・ジョンソンにしろロバートジョンソンにしろ、それはそれですばらしい業績だ。ぼくはもちろん彼らに感謝しているけれども、ぼくはぼくのやり方でやらなくちゃいけないし、君も今の子どもたちも同じだと思うね。
山川 よくわかりました。
BB それはよかった。
山川 ただ、それでもやっぱり、あのビルのことをもっとよく知りたいと思います。ぼくら日本人には、わからないことも多いですからね。それで個人的な話になるんですが、ぼくは「ブルースマンの友達」という本を書こうとしているのですが。
BB そうか、それじゃあ大事なことを教えておかなきゃならないな。ちょっと鉛筆を貸してくれる? (紙に楽譜を書きながら)音楽を演奏するとき、例えばC、E、G、A、B、C、と。つまりこれがスケール(音階)だ。ブルースを演奏するとき、使う音はこれだよね。ジャズでも同じだ。ロックンロールも、ソウル・ミュージックも同じ音。これが音楽で、これらの音をいかに配置するかによるわけだ。ブルーノートにするにしろ、ジャズのインプロビゼイションするにしろ、ソウルにしろ、ゴスペルにしろ、カントリーにしろ、すべてが同じ12音をみんなが使う。あなたがブルースが好きだというなら、それはあなたがどうこれらの音を組み合わせるかなんだ。あなたの通訳があなたに通じる言葉であなたに話し、ぼくに通じる言葉でぼくに話す。それでも会話は成り立つのとおなじだね。わかるかい?
山川 わかります。
BB ブルースの話をすれば、要するに誰がどう、どの音を組み合わせるかだよ。ブルースとはつまり、組み合わせなんだ。そこが大切なとこなんだってことを、わかってほしい。
●太陽が照るのは人間の仕業じゃない
BB ぼくがブルースを好きなのは、感じるからでね。でも、ぼくはジャズも好きだし、ソウルも好きだ。ゴスペルも好きなんだ。自分でもブルース・シンガーになろうと思って始めたわけじゃない。ブルース・シンガーとして、あるいはブルース・ミュージシャンとしてスタートを切ったわけではないんだ。ゴスペル・シンガーになろうと思ったんだよ。ゴスペル・シンガーになりたかったんだよ。
山川 幾つの時ですか、それ?
BB 9歳か10歳。12歳で初めてギターを持った。最初は教会で歌う、ゴスペルの大歌手になりたかった。いろんなところへ行って、たくさんの人の前で歌う。まさかブルースの歌手になろうとは思わなかったよ。何でブルースを歌うようになったかというと、昔、小さな田舎町から8マイル離れたはずれに住んでいて、土曜の夕方になると、プランテーションの仕事がはねる。すると、8マイル歩いて町に行って、街角に立ってカンカラを前において、演奏したんだよ。人が寄ってきて「いけるじゃないか」ってリクエストが来たりしてね。ところがゴスペルソングだと金が全く入らない。肩をたたかれたり、頭をなでられたりして「良かった、良かった、将来大物だな」って、それでおしまい。ところが、ブルースをやってると「ブルース歌え、もっともっと!」ってお金も入る。それでブルース・シンガーになったんだ。わかるかい。
山川 すごく面白い!
BB もとからブルースじゃぜんぜんないんだ。
山川 ゴスペルは天使の音楽で、ブルースは悪魔の音楽だっていいますよね。
BB そういう人もいるね。だけど、何が楽しくて何が楽しくないかなんて誰にも言えたもんじゃないだろう? 自分が感じること、好きなことしか言えないよ。他の人のことは決められない。
山川 ほんとにそうですね。
BB ブルースが悪魔の音楽だなんて、大きな間違いだよ。あなたがジャーナリストとして自分の仕事にベストを尽くすように、ぼくはぼくの仕事、つまりブルースを歌って演奏することにベストを尽くす。ぼくは27人に給料を支払っているが、そのお金はみんな、ぼくが歌って演奏するブルースから来ている。でもぼくはブルースだけがすべてだとは思わないんだ。どう説明したらいいのかな……。ぼくは、人間さまがすべての木を植えたとか、雨を降らせるとか信じて育ってはこなかったんだ。太陽が照るのは人間の仕業じゃない。ぼくら人間よりもっと大きなものが、もっと大きな力があると信じている。ぼくはそういう力を祈って演奏してきたんだ。
山川 音楽とは、不思議なものですね。
BB ぼくたちみんなにとってね。ぼくにもミステリーだね。もっとわかれば、もっと良いミュージシャンになれるのに。
山川 とんでもない、あなたがキングなんだから。
BB いや、音楽は女と同じで、さっぱりわからない。
山川 でも、みんな好きなんだ(笑)。
BB もちろん、そうさ。好きだけど、わからないんだ。そういや、日本にもすごいジャズ・ギタリストがいるんだよね。うまく名前は発音できないけど。何度も聴いているんだけど、45歳ぐらいかな。もっと若い人にも、とっても良いプレイやーがいる。ブルースもロックンロールもね。ぼくは日本でレコードを作っているんだよ。とっても良いミュージシャンとね。どこの国にも、それぞれの畑で、すぐれたミュージシャンはいるといううことだ。
山川 1960年代の末から1970年代にかけてロックンロール・ミュージックについてお話したいんですが、あの頃エリック・クラプトンやジョン・レノンが、あちこちでBBキングはすばらしいと言っていたわけですよね。ビートルズ・ナンバーの歌詞にもあなたの名前は登場するし。あの頃、あなたのほうは彼らの音楽を聴いてどう考えていましたか。
BB 今でもぼくはエリック・クラプトンはナンバーワン・ロックンロール・ギタリストだと思っている。何をやってもうまい。ぼくの意見では、彼がナンバーワンだね。ブルースでも、ジャズでも。彼が自分でやりたいと思うものは、みんなうまいよ。ジョン・レノンについては、言うまでもなく、ビートルズは未だにナンバーワン・グループだからね。彼らが世界中の音楽を変えたんだから。キリスト以降は、ビートルズまで男に長髪はなかったんだから、ほんとうだよ。ビートルズが出てきて、長髪がまた復活したんだ。君も長髪だけどね。音楽を、すべての人の音楽を、ぼくの音楽も変えたんだから。ナンバーワンだよ。ジョン・レノンもポール・マッカートニーもビートルズ全員が。あれほど人気があったグループはいないよ。
山川 だけどクラプトンもビートルズも、自分たちはBBの息子だと思ってる。
BB とても光栄だね。あんなに昔も今も人気のある人たちがね。ぼくなんか、とても足下にも及ばないと思うのに、どうあがいたって。
山川 でもああいう音楽は、あなたの音楽から生まれたんだ。
BB あなたがそうおっしゃるなら(と、にやりと笑う)。さっきも言った通り、ぼくは学者じゃないから、音楽やそれ以外の歴史をあなたほど知らないから。
山川 いや、ぼくもそんなに知っているわけじゃないです。それに、どうでもいいけど、ぼくは学者じゃありませんよ。こんな学者がいるわけないでしょう。
●ブルーとハッピーのその両方をみせたいと思ってるんだよ
山川 じゃあ時間ももう無くなってきたので、ちょっと急ぎます。<エヴリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース>というあまりにも有名な曲をレコーディングなさってますが、あなたは今も毎日ブルースを持ってるんですか。
BB まず、こういう風に答えさせてもらおう。プランテーションの奴隷達に休みの日があった。休みの日には、踊ったりして楽しむことができた。ただ四六時中働いていたわけじゃない。そう、ぼくの先祖からぼくは聞いていた。休みに日には、あの子にハーイって会いに行って、キスしたりしていたんだ。
 どうしてこんなことを言うかというと、ぼくがプランテーションで働いていたときも、毎日泣いているわけじゃないし、ブルース歌手として、今だって毎日泣いているわけじゃないってことなんだ。でも、毎日みんなが、何かしらの危機や問題を抱えているわけだ。でも、あなたとぼくが今日こうしてしばしの間話をして、今晩あなたがこのことからきっと何かを考えるように、なんらかは解決する事はできる。確かに<エヴリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース>だとも言えるかもしれないけれど、それは髪の毛を引っこ抜くほどのことではないんだよ。問題は、解決できないものもあるかもしれないが、少しは解決できるからね。
 でも、むずかしいね、実に。君の今の質問に答えるのはむずかしいよ。実は、今こうしてあなたと話をしながらも、亡くなったばかりのジョニー・ワトソンのことが、頭から離れないでいるんだ。それは悲しいし、ブルーなんだけれども、こうしてあなたと話していると、さほど悲しくはない。お互いに話し合い、賛同し、または賛同するために反論しあっているからね。あと、今、ぼくの周りにいる若い人たちを見ていると、悲しさを忘れてしまう。だから、あなたの質問にお答えすると、イエス・アンド・ノーだ。
山川 ものすごく基本的な質問で申し訳ないんですが、ブルースって言うのは、やっぱり悲しいって意味のブルーからきているんですか?
BB そうだね。奴隷がアフリカから連れてこられた時、これはうちの家族が言ってたんだけど、白人の大半がキリスト教を教えこもうとした。中には反抗して、船で運ばれる途中、鎖を切って海に飛び込んで、主人に向かって笑って死んだ者もいた。奴隷になるより死んだ方がましだったんだ。プランテーションにたどり着いた者は。売られたものの、キリスト教徒にはなりたくなくて、賛美歌とは違う歌を作って反抗した。それがブルースの始まりだった。その仕打ちに逆らってね。
 もう一つ彼らがやったのは、ボスが来る時に仲間に知らせるために歌を歌った。ボスはブルースだと思ったが、実は「ボスが来る、仕事に戻れ」っていう合図だった。今、言っているのはうちの家に伝わっている話だよ。それが後々、そういう合図係の人たちのなかにはとっても歌のうまい人がいることがわかって、休みの夜に、火の回りに集まって、人に歌を聴かせるようになったというんだ。ぼくはいわば、そういう人たちの弟子なんだ。みんなが、たとえばあなたが、おまえはうまいと言うから、ぼくは歌い続けてきたのさ。今の若い人たち、いろんな肌のいろんな人種の人たちが演奏するのは、もとはと言えば、誰かがうまいって言ったからなんだ。ぼくたちはだからその気になって、演奏するわけさ。それが、ブルースの始まりだ。
 ただ、これはブルース・プレイヤーとして言っておかなきゃならないけど、すべてのブルースが悲しいんじゃない。両面があって、片面は悲しいが、その裏面は悲しくない。ハッピーなんだ。<スィート・リトル・エンジェル>っていう歌がある。恋人を慕う歌だね。女の子は好きかい?
山川 もちろんです。
BB ハッハッ。かわいいよね。ぼくもかわいいと思う。で、その歌は(と言うと、BBは立ち上がって歌いはじめる)「スイート・リトル・エンジェル、ぼくのあの娘が翼を広げてぼくを抱くとき、ぼくはうれしくてたまらなくなる」っていうんだけれど。これはまったくく悲しくない。一方で「ノーバデイ・ラブズ・ミー・バット・マイ・マザー、アンド・シー・グッド・ビー・ジャイビング・トゥー」っていう、母さんすら嘘をついているかもしれない、愛していないかもしれないっていう、悲しい歌もある。
(ここで再びソファに腰かけて)だからぼくが演奏する時は、ブルーとハッピーのその両方をみせたいと思ってる。さあ、これで今日の話はおしまいだ。
山川 ほんとうにありがとうございました。
BB こちらこそ、君にとって、今日の話がためになったことを願っています。あなたの興味に、心から感謝します。
山川 ほんとうにすばらしいお話をありがとうございました。
BB ありがとう、あなたとお話しできて、ほんとに良かったよ。思い出したこともあったしね。
山川 ぼくは日本人だけど。
BB ほんとうに? ハハッ。珍しい日本人だね。
山川 だけど、ずっとブルースマンの友達でいたいと思っています。そういうふうに思っている日本人たちが、たくさんいるんですって。
BB ぼくはアフロ・アメリカンで、アメリカ生まれの奴隷の子孫で、世界各地を旅して、アフリカへ行くけれども、アフリカはぼくの故郷じゃない。ぼくの先祖の故郷だ。ぼくの故郷はアメリカなんだよ。あなたはやっぱり日本人の顔をしているよ。ぼくは姿も心もアフロ・アメリカン。お会いして良かった。う
山川 こちらこそ、ありがとうございました。(通訳・小山さち子)